「自分目線」のメンタリティー。

Posted on by narita

最近はファッションのフロアーをよく見ているので、ものすごい閉塞感を感じることがある。ものを売ることの難しさを痛感する。

自分がDCの洗礼を受けたアラフォー世代だからそう感じるのかもわからないが、新しい服を買って、気持ちを盛り上げるとか、今までと違った自分になるという幻想がものすごいスピードで打ち壊されている。

人に見られて、人と違ったものになりたいということを服装で表現するということが若い世代の特権であった時代は終わった。

人に向けてものを着る、人と差別化する、ということが陳腐化してしまった背景には経済の減退もその一因ではあるが、それを推進する力が人の心から失われて行っている。

ユニクロの「LIFE WEAR」というコンセプト。

イッセイミヤケの元デザイナー滝沢直己氏のインタビューを読むとこのコンセプトを標榜したのは2013年。ベーシックな服に高機能な素材が使われ、それが求めやすい金額で販売されるというコンセプトがしっかりと伝わって来る。イッセイミヤケの服を着る人と、ユニクロの服を着る人。その人数を考えたら身震いがするような違いがある。

滝沢直己に聞く、ユニクロ「Life Wear」

かくいう私もウルトラライトダウンを羽織ってこのブログを更新している。
厚すぎず、薄すぎず、丁度良い機能性と価格。
近所のコンビニやジムくらいならこれで出かけてしまう。
寒い時期にうっかりうとうとしてしまっても暖かいので問題はない。

必要にして十分、快適だが楽しさはない。
でもこれが現状。現状を見ることでしか答えは導けない。

それ以上に必要なことなどあるのだろうかという問いかけ。

必要にして十分なプロダクト。これに対してアパレルブランドがそれぞれ答えを出していくようなことは可能なのだろうか?

人はその身体に対しての快適性に加え、内面との調和を無意識に感じる。
個性的なもの、ラグジュアリーなものは自分の範疇を超えているという人は少なくない。本当にそうだろうか?

ファッションの傍流としてのジュエリーができること。

私の仕事はジュエリーのセレクト、ショップ運営とデザインの業務。

人類は服を着るよりも早くから美しいものによって身を飾る装身行為を続けている。装身具を身につけることは基本的には本能であるからなくなることはない。これが私の基本的な考え方。

ただ、この先自分が信じるより良いものを勧めて行くためには現代の人々の「自分目線」のメンタリティーを真剣に反映していかなくてはいけないと思っている。

さて、自分の美意識とそのメンタリティーをすり合わせる作業に戻ろうかな。

ではまた。

成田

 

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