貴石画の歴史に出会う。

Posted on by narita

山梨出張に絡めて少し書きたいと思います。

甲府駅構内には2枚の貴石画があります。
うち一枚はこの、ミレー「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」
山梨県立美術館に所蔵されている絵画です。
※写真は原画です。

横幅10メートルほどもあるこの宝石画を作られたのは丹澤俊若さん。
大正生まれのこの方はすでに鬼籍に入られていますが、山梨滞在中に俊若さんの作品に触れることになったのでご紹介したいと思います。

貴石画とは水晶や瑪瑙などの石を絵の具の代わりに使って、絵画を描く技法のことで、山梨の伝統的な石の研磨技術を使ったもの。俊若さんはその第一人者でした。
貴石画は高度成長期に爆発的に世に知れ渡り人気を博し、山梨県の研磨技術の需要増に大きく貢献したようです。

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こちらは丹澤製作所で撮らせて頂いた写真。
この作品は晩年の俊若さんがお孫さんの伸介氏のために作られたそうで、懐かしげに祖父のことを語られる姿が印象に残りました。
なんとこのお城のような屋敷を貴石で作り上げています。

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アップにしてみるとこんな感じです。瑪瑙の模様を木目の扉に見立てているんですね。
細かなファサードの装飾も美しく表現されています。
素晴らしい作品だと思いました。

平成元年に自ら出版された句集「水晶」には貴石細工の3代目だった俊若さんの青春時代の回顧録が記されています。

私の青春は、昭和十二年春、二十二才、ラッキー商会奉天出張所責任者として、中国(旧満州国)に渡り、昭和二十三年十一月二十三日シベリア抑留から、祖国舞鶴に無事上陸したことをもって終わる。

houten賑わう奉天の四平街百貨店の建物
満州資料館より

奉天の冬は寒さを通り越して痛い。一月の平均気温が。マイナス十三度。銭湯をでて数分。濡れたタオルが棒のようにすぐ凍りつく。そして霧がよく巻きあげるように深く地を這う。暗く悲しい街でもある。酒の飲めない私はこんな夜、きまってロシアケーキの店で紅茶を一人飲んだ。祖国の炬燵を思い出しながら‥‥‥。

戦前に満州に渡った俊若さんはシベリア抑留を経て大陸から帰国します。
戦中の暗い時代を経て日本経済は立ち直っていきますが、
贅沢品である宝石や彫刻は戦後すぐにはなかなか売れなかったようです。

ムーンストーンの観音様は風呂敷に包まれて、自転車のハンドルに掛けたまま、もう廻る問屋がない。金に替えなければ明日の生活が苦しく、妻子の顔がちらちらと頭をよぎり、家にも帰れない。

その後も苦節を経て自らのスタイルを模索されました。

ベトナム戦争が始まり、米軍兵士のお守り用に作った。メノーの仏像がいくつ造っても間に合わず、昼夜をわかたず造りつづけ、初めて貯金ができるようになった。

この後、昭和38年に貴石画を発表することになります。
今では知る人は少ない貴石画ですが、一人の人間がその生涯をかけた美の究極をそこに見た気がしました。

見学、取材に協力して下さった丹沢製作所の5代目、丹沢伸介氏にこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。

句集からは年若さんのロマンチストな一面を垣間見ることができます。

水晶のキラリと初夏のお陽を弾く

甲府駅を降りたら改札の上を見上げてみてください。
そこには山梨の歴史が刻まれています。

 

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